正しい育児なんて分からないが、間違った育児はやりたくない
こんにちは。骨盤矯正専門店 癒し家の「なかの」です。
最近ニュースで亡くなった子どもの親をよく見ます。自殺した子どもの親、飲み会で飲まされすぎて亡くなった子どもの親。皆さん揃って「こんな事件はうちの子を最後にしてほしい」とおっしゃってます。
私はすごいなぁと思います。自分の子どもが死んで、そんな言葉を発せられるか?と言われれば、答えはNOです。一番は無かったことにしてほしいし、加害者が居るとするならば一生許すことはないでしょうし、極刑を望みます。
でも、それも視点を変えると子育ての方法はどうだったの?という話になってしまいます。
自殺を選択してしまうように育てたのは誰?相談相手になれなかったのは誰?自分の限界を超えてまで飲んでしまうように育てたのは誰?
親心というものは複雑です。自分の責任ってどこからどこまで?大人になった子どもの選択は自分の責任?自殺って親の責任?
全ての親は基本的には子どもの幸せを望みます。(※一部そうでもない親もいるようですし、問題になることも多々ありますが、ここではそういったレアケースは除きます。)
ですが、子育てって難しいですよね。その子育てが間違った方向に進むと、子どもの人生にとって大きな不利益をもたらします。
私達はどのように子育てをしていけば良いのでしょうか。
子育てを取り上げる理由
何故今回、こんなエントリーを書こうと思ったか?ですが…。子育ては子を持つ親にとって一大事業です。お金で解決できないし、その結果はどこで現れるかもわかりません。
私にとっては子どもの未来への不安、孫の未来への不安というのは、恐らく人生において一番のストレスです。
だから、子どもたちの未来により良い社会をバトンタッチするということを自身の使命であると捉え、日々頑張っているわけです。
そして、多くの親御さんが同じようなストレスを抱えていると思います。私はそういったストレスを少しでも解消したいとも思っています。何故ならそれが子育て中の方にとって健康的に生きる手助けになると思ったからです。
子育ては矯正か?
子育ては矯正か?と問うと多くの方がNOと言うと思います。しかし、NOと言いながらも、その行動は育児ではなく矯正なんじゃないか?と思われる行動もあります。
例えば、こんな例があります。
『息子が本当にバカで、小さい頃からずっと勉強させてきたのに全く身につかずに困っています。』
こんな話題が先日ヤフー知恵袋で炎上しておりました。
親御さんが一生懸命なのはわかりますが、恐らく子どもさんとは通じあっていないように思います。
で、このケースで想起されたのが秋葉原通り魔事件です。
秋葉原通り魔事件の犯人も、実は親からこのような徹底した管理教育がされていたと言われています。(参考エントリー:加藤智大の生い立ち【秋葉原通り魔事件】)
もちろん、必ずしもこういう徹底した管理教育が異常な精神状態を作り出すわけではないと思います。放任教育をされた子どもでも異常な犯罪を犯すケースはあるはずですから。
しかし、どちらにしても先日『子育てに悩むママさん必見!「ちょっとちがう」という歌が教えてくれること』にて取り上げた適当な育児ではないように思います。
これだ!という正解はないのが育児
適当な育児というと語弊があるかもしれませんが、適切な程度と捉えてください。言い方を変えるなら『最適な育児』でしょうか。
で、その最適な度合いというのは子どもによって変わるはずです。
私が現在取り組んでいる施術の1つの考え方で『最適抵抗』という言葉があります。それはお客様にとって最適な度合いの抵抗を加えましょうという考え方です。強すぎてもダメ、弱すぎてもダメ、そのお客様にとって最適な度合いを探すのが私達施術者に課された使命なわけです。
親から子どもへの関わりもそうだと思います。最適な関わり度合いってどんなものなのか?
今日のこの関わりは過干渉ではないか、あるいは放置し過ぎではないか?
私達は常に自分の関わり度合いをフィードバックして調整しなければなりません。
また、今日の正解が明日の不正解だということもよくあることだと思います。毎日、毎日しっかりと考えることが重要になります。
正解はありません。ですが、あからさまな間違いは冒したくないと思います。その為にも最適な関わりを常に探し続ける努力は惜しみたくないと思います。
まとめ
間違った育児に走ってしまう親も、そうでない親も根本にあるのは子どもへの愛だと思います。
しかしながら、時としてその愛が間違った方向に突き動かしてしまいます。愛は人を盲目にさせると言いますが、よく言ったものです。
で、間違いを冒す最大のポイントは「ねばならない」という信念を持ってしまうことなのではないか?と思います。
勉強させなければならない、常識を教えなければならない、感謝をおしえなければならない…。多くの「ねばならない」に凝り固まりすぎて最適なタイミングを間違えたり、最適な量を間違えたりしてしまうのではないか?と。
子どもには、それぞれ必要なタイミングで必要な課題が訪れています。社会の流れに合わせて課題は訪れてくれません。
ゆっくりな子もいれば、早い子もいます。ある事が必要な子もいれば、必要のない子もいます。
それぞれに合わせて最適な関わりを常に考えて、提供していく事こそ、間違った育児をしないことなのかなぁなんて思っています。皆様はどうでしょうか。
皆様の意見もお聞かせ頂ければ幸いです。
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